カテゴリ:マタイによる福音書



『普通じゃない出来事』マタイによる福音書1章18~25節
礼拝メッセージ · 2022/12/18
イエス様が誕生するときには、普通じゃない出来事がたくさんありました。それによってイエス様が特別な方——神の子・救い主——であることが伝えられています。ただ、普通じゃない出来事を経験することになった人たち、特にイエス様の両親となるマリアとヨセフは大変なこともありました。 普通じゃない出来事には、嬉しいものもありますが、恐れや不安を感じたり、悩み苦しんだり、怒りや失望を感じるものもあります。マリアとヨセフもそうでしたし、私たちにもそんなことが起こります。思い描いていたような「普通」の生活が変えられてしまうようなとき、私たちはどうすることができるのでしょうか。イエス様の父とされたヨセフの体験から考えてみましょう。

『自分のために赦しなさい』マタイによる福音書6章6~15節
礼拝メッセージ · 2022/11/06
毎週の礼拝の中で祈っている「主の祈り」は、祈りの言葉を教えてほしいと願った弟子たちに応えて、イエス様が教えた祈りです。この祈りでは、毎日の食べ物のように、具体的な必要が満たされることへの願いが述べられます。それと同じように、私たちの罪が赦されることと、私たちが罪を赦すことが願われています。毎日の食事のように、赦し、赦されることなしに、私たちは生きることができない。それほどに赦しは私たちに必要不可欠なものです。ある人は、「赦しとは福音の中心なのです」と語っています。その赦しが私たちにとってどのようなものであるのか、考えてみましょう。

『後の者が先になり、先の者が後になる』マタイによる福音書20章8~16節
礼拝メッセージ · 2022/05/22
イエスはこのたとえ話を、「天の国」のたとえとして語りました。天の国というのは死後の世界のことではなく、神が支配しておられるところのことです。言い換えると、それは人はこのように生き、このような関係性を作ってほしい、世界はこのようなところであってほしい、という神の意志が実現しているところです。ですからこれは神の思い描く理想的な世界の物語であり、神が創ろうとしておられる世界のことを伝える物語です。 「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」という神の国が来ることを喜ぶかどうか、それを望み、気前のいい神に従って生きるかどうか。その応答は私たちに委ねられています。

『救い主はどこにおられますか?』マタイによる福音書2章1~12節
礼拝メッセージ · 2021/12/26
ヘロデ王は、紀元前37年から紀元前4年まで、ユダヤの支配者でした。彼はローマ軍の支援を受けて、ガリラヤの村々を荒らし、抵抗運動を鎮圧し、エルサレムを襲撃して、ユダヤの絶対的な君主となりました。表面的には大きな戦争もなく、ユダヤは繁栄していました。 そこに東の国の学者たちが訪ねてきました。イエスが誕生したころ、彼らは東の国で、不思議な星を見つけました。その星について調べると、それはユダヤに新しい王が生まれたことを知らせる星だとわかりました。そこで彼らは、その新しい王を礼拝するために、遠い東の国から訪ねて来たのです。しかしそれは、ヘロデ王にとって良い知らせではありませんでした。…

『イエスの母を理解し支える人』マタイによる福音書1章18~25節
礼拝メッセージ · 2021/11/28
本日からアドベントに入りました。アドベントはイエス・キリストの降誕を待ち望む期間です。礼拝でもイエス様の誕生にまつわる出来事を覚えていきます。本日はマタイによる福音書に書かれた出来事で、イエス様の父となったヨセフが中心的に描かれています。ヨセフはイエス様と血縁関係にはありませんが、イエス様の誕生に際して重要な役割を与えられた人物でした。 ヨセフはマリアの婚約者でした。一年間の婚約期間中のある日、ヨセフはマリアが身ごもったことを知りました。それは彼には全く身に覚えがないことでしたので、彼は相当なショックを受けたことでしょう。もはやマリアと結婚することはできない。それどころか、律法の定めに従えば、マリアは死刑になってしまうのです。…

『抵抗して生きる』マタイによる福音書10章34~39節
礼拝メッセージ · 2021/05/09
先日、佐々木和之さんと奥本京子さんのオンライン対談が行われました。アフリカとアジアで、それぞれに平和を研究し、平和構築の働きを担って来られたお二人が語る平和のイメージは、私に新しい視点を与えてくれました。奥本さんが考えておられる平和は、「ダイナミックな平和」です。「平和がきたらいいね」と言うときにイメージするユートピア的な世界を「平和」としてイメージするのではなく、平和を作り出していくプロセスそのものを「平和」として考える、というのです。そこでは人間同士の生々しいやり取りがなされ、いくつものプロセスを経へ変化が起こります。そのプロセスの一つ一つが平和そのものなのだ、という視点は、とても新鮮でした。…

『重荷を負っているなら』マタイによる福音書11章28~30節
礼拝メッセージ · 2021/05/02
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」。イエス様はこのようにおっしゃって、私たちを招いてくださいます。私たちが疲れたとき、重荷を負うとき、「わたしのもとで休みなさい」とイエス様が呼んでくださっています。ただ、ここでの「休む」というのは、何もせずに家で横になっている、ということではないようです。なぜなら、イエス様は「わたしの軛を負いなさい」ともおっしゃっているからです。…

『空腹な人がいない世界へ』マタイによる福音書25章34~36、40節
礼拝メッセージ · 2021/03/14
神様に祝福された人、神の国を受け継ぐ人とはどのような人でしょうか。それはこの世の価値観には反するものです。イエス様はこのようにおっしゃいました。「お腹を空かせている人に食事を与え、喉が渇いている人に水を飲ませ、泊まるところがない旅人に宿を貸し、裸で凍えている人に服を着せ、病気に伏せている人を見舞い、牢獄に捕らわれた人を尋ねる人、そのような人たちが神様に祝福された人である。」 イエス様はまさにそのようなお方でした。…

『富が祝福であるために』マタイによる福音書6章24節
礼拝メッセージ · 2021/02/07
より豊かに生きたい、という願いは人類に共通する願いだと思います。その願いは神様も共有しておられます。聖書の中で、人を豊かにする富が与えられることは、たびたび神様からの祝福として語られています。生きる上での苦痛から抜け出し、よりよく生きるための富を神様は与えてくださいます。 それと共に、富について批判的な言葉も聖書の中にはよく見られます。それらの箇所では、貧富の格差や不正との関連で、富や裕福な者が批判されています。富は本来、神様からの祝福でしたが、その富が祝福ではなくなることがあり得ます。…

『協力を惜しまない』使徒言行録11章19~30節
礼拝メッセージ · 2021/01/31
本日から来週までの期間を、日本バプテスト連盟では「協力伝道週間」として定めています。そうはいっても、「連盟」がどのようなものか、よくわからないと思われるかもしれません。「協力伝道」がどのようなものかわからなないので祈りようがない、と思われるかもしれません。 金沢教会は協力伝道を体感することができる教会です。協力伝道によって支えられることがなければ、今のような金沢教会はおそらく存在しないからです。…

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