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イエス様が誕生するときには、普通じゃない出来事がたくさんありました。それによってイエス様が特別な方——神の子・救い主——であることが伝えられています。ただ、普通じゃない出来事を経験することになった人たち、特にイエス様の両親となるマリアとヨセフは大変なこともありました。
普通じゃない出来事には、嬉しいものもありますが、恐れや不安を感じたり、悩み苦しんだり、怒りや失望を感じるものもあります。マリアとヨセフもそうでしたし、私たちにもそんなことが起こります。思い描いていたような「普通」の生活が変えられてしまうようなとき、私たちはどうすることができるのでしょうか。イエス様の父とされたヨセフの体験から考えてみましょう。
普通じゃない出来事
ヨセフはマリアと婚約していました。婚約期間は1年間。その間、二人はそれぞれの実家で暮らしていましたが、社会的には既に夫婦同様に見なされていました。1年後には二人での新しい生活が始まる。子どもも出来て、家族も増えていって、ということもヨセフは思い描いていたかもしれません。
ところが、あるときヨセフは婚約者のマリアが妊娠したことを知りました。自分には身に覚えのなので、彼はそれが他の男の子であろうと考えました。マリアには天使ガブリエルが現れて、彼女が聖霊によって身ごもること、その子は神の子と呼ばれ、救い主となる、ということが告げられていました。ヨセフはマリアからそのことを聞いたかもしれませんが、とても信じられないことでした。
ヨセフの思い描いていた普通の結婚生活への未来像は崩れ去ってしまいました。そんなことが自分の身に起こるなんて、想像したこともありませんでした。これからどうなっていくのか、自分はどうしたらいいのか、ヨセフは思い悩んだことでしょう。
ヨセフは特別なことを望んでいたわけではありませんでした。あと1年遅ければ、マリアが妊娠しても、それはヨセフの子として何の悩みもなく受け入れられたかもしれません。マリアもヨセフも、驚いたり、悩んだり、恐れたり、怒ったりすることはなかったでしょう。
普通でいい、特別なことは望まない、と考えていても、時には予想外のことが起こるのが私たちの人生です。こんなはずじゃなかったと思っても、思い描いていた将来は失われたり、思った通りのことはできなくなったり、人との関係も変わってしまったりする。そんな「普通じゃない出来事」は、誰も望みませんし、それが起こった時に受け入れることは難しいのではないでしょうか。
ヨセフにとっての最善策
当時のユダヤ社会では、このような事態が起こった時に、普通はマリアを訴えます。すると律法に基づいて、マリアは婚約者を裏切ったと見なされて、石打ちの刑を受け、お腹の子と共に命を奪われることになります。
しかし、ヨセフは普通の選択をしませんでした。彼は「マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した」のです(マタイ福音書1:19)。ヨセフはマリアが危機に晒されることを望みませんでした。かといって、そのまま結婚するわけにもいかないと考え、マリアとは別れるけれども、彼女の命が奪われないような選択をしたのです。それが、ヨセフにとって考えられる限りの最善策だったのです。
ヨセフは「正しい人であった」と言われています。彼は神様から与えられた律法を大切に守ってきたのでしょう。神様に対して誠実であると共に、周りの人達にも誠実に生き、愛を実行することができる人だったのだろうと想像できます。律法に定められた刑罰を文字通り実行するよりも、神様の愛と憐れみを実行することの方が大切です。
旧約聖書のイザヤ書には、「苦難の僕」と呼ばれる個所があります。神様がこの世に遣わす救い主のことを預言した言葉です。苦難の僕の最初の箇所、イザヤ書42章には、このように書かれています。
「彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
傷ついた葦を折ることなく/暗くなってゆく灯心を消すことなく
裁きを導き出して、確かなものとする。
暗くなることも、傷つき果てることもない。/この地に裁きを置くときまでは。
島々は彼の教えを待ち望む。」(イザヤ書42章2~4節)
マリアは傷ついた葦、暗くなってゆく灯心のような状況でした。誰も彼女の言うことを理解せず、厳しい態度で向かっています。まだ若いマリアにとって――いや、たとえ若くなくても――孤立無援の状態で、神様からの重要な使命を負い続けることは難しかったことでしょう。
ヨセフはマリアに対して、刑罰の律法を適用させるよりも、イザヤの預言に従いました。それが彼にとって大切なことであり、正しいことだったからです。マリアと結婚することはできないけれども、マリアを解放することが、自分のなすべきことだとヨセフは考えました。周りの人たちは、ヨセフの選択を批判し、刑罰の適用を求めたかもしれません。それでもヨセフは、自分が正しいと思うことを貫く勇気と不屈さがありました。
このようなヨセフの選びは、イエス様がなされ、語られたことにも通じています。ヨセフがなぜイエス様の父として選ばれたのか、その理由ははっきりとはしていません。けれども、このようなヨセフの正しさ、また勇気と不屈さは、イエス様の父となるにふさわしい人だと思わされます。
視点を変えさせる天使のお告げ
ヨセフの選択は、彼にとって考え得る最善策でした。けれども、神様はヨセフに違う道を提示します。それは、マリアを妻として迎え入れる、ということです。主の天使は夢の中でヨセフに現れて、こう告げました。
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(マタイによる福音書1章20~21節)
それはヨセフにとって考えられない選択でした。マリアを妻として迎え入れ、そのお腹の子を自分の子として育てる。それは、普通じゃないこの出来事に対して、ヨセフの選択以上に普通じゃない選択をすることでした。
ヨセフは驚いたことでしょう。ただ、彼がマリアから彼女の体験を聞いていたとしたら、天使のお告げを受け入れやすくなっていたでしょう。マリアが言っていたことは本当だった。マリアは自分を裏切ったのではなかった。マリアと別れなくていい。むしろ、二人で神様のご計画に従って、この大切な子を守り育てていくのだ。
婚約者マリアの妊娠という出来事を、ヨセフは自分の視点から見て、その中での最善策を考え抜き、実行しようとしていました。ところが天使のお告げは、ヨセフにとって全く異なる視点からこの出来事を見るようにと促すものでした。それは、神様の視点から見るということでした。この普通じゃない出来事が、神様にとってどのような意味があるのか。神様はここで何を成そうとしておられるのか。
天使のお告げを受けたヨセフは、神様の視点からこの出来事を見ることができました。そうすることで、普通じゃない出来事を受け入れ、それを担って行く決断をすることができました。でも、周りの人達はそうではなかったかもしれません。マリアとヨセフが説明しても、自分の視点からしか見なかったならば、やはり二人のことと強く非難したでしょう。そんな逆風の中でも、マリアとヨセフは、神様を信じて二人で生きていくことを決断しました。
神の視点から見る
視点を変えてみる、というのはとても大切なことです。チベット仏教の法王であるダライ・ラマは、視点を変え、広い視野から見ることの大切さを語っています。
「人生のあらゆる出来事には、さまざまなアングルがあります。同じ出来事でも、より広い視野から見ると、心配や不安が減り、より大きな喜びを感じます。」
「ある角度から見たら、惨憺たる気分になり、悲しくなるような悲劇的な出来事も、別の角度から見ると、自分に新しい機会を与えてくれることがわかります。」
(『よろこびの書』ダライ・ラマ デズモンド・ツツ ダグラス・エイブラムス、河出書房新社、2018)
私たちはどうしても、目先のことに囚われてしまったり、大局的な見方や長期的な見方ができなかったりします。自分に見えていることや、自分が思っていることに囚われて、恐れや怒りを抱いて、よい結果に結び付かない選択をしてしまいます。でも、違った視点から見ることができると、現状を違ったように捉えることができて、気持ちも楽になります。他の選択肢があることにも気付いたり、将来を悲観しすぎないことにもなります。
ダライ・ラマの友人であるデズモンド・ツツ大主教(南アフリカの聖公会の大主教)は、「神の目の視点」を持つことが大事たと言います。そうすることで、私たちの心に平安が与えられ、普通じゃない出来事が起こっても、より適切に、創造性と憐れみをもって向き合うことができるのです。
ヨセフも、天使のお告げによってマリアの妊娠という出来事を神の目の視点から見ることができました。それまでは自分の視点から、自分とマリアのことだけを考えて、その中での最善を考えていました。
神の目の視点では、マリアとヨセフのことだけでなく、この世のこと――すべての人のこと――が考えられていました。マリアのお腹の子はすべての人を救う人となるのです。神様が約束しておられたこと、ユダヤの人々が待ち続けていたことが、成就するのです。そのために、マリアとヨセフは辛く苦しい思いをすることもあります。けれども二人は、神の目の視点から自分たちに起こった出来事を捉え直し、そこに希望を見いだしました。
私たちにも「普通じゃない出来事」が起こります。思いもよらなかった出来事、望まないような経験、どうしたらいいのかわからなくなってしまうこと、そのことに悩み、苦しみ、恐れ、怒りを感じます。
そんなとき、少し立ち止まって、他の視点から見てみること、視野を広げて見ることをすると、見えていなかったものが見え、気付かなかったことに気づくことができます。問題は確かにあるけれども、悪いことばかりではなかったり、それを乗り越えたり逃れたりする道が見えてきたりするでしょう。予想外の助けがあったり、大切な気付きが与えられたりするでしょう。神様は多様な人間を創ってくださったので、私たちは色んな視点を分かち合うことができます。
そしてその中で私たちは神様の目の視点からも見ることを求めていきます。神様が私たちに成そうとしておられること、この世の中で行おうとしておられること、私たちの経験することの意味を知ることができるように、祈り求めるのです。
この世には神様のご計画があり、神様が果たされる約束があります。私たちの人生も、その中にあり、それとつながっています。私たちが経験する「普通じゃない出来事」の中にも、神様が込められた大切な意味があります。私たちの人生を通して、神様が為してくださったことがあります。それを見つけ、それに気づくことができるように祈ります。
牧師 杉山望
December, 18, 2022, Sunday Worship Service(Advent Week 4)
"Unusual Events"
Matthew 1:18-25
When Jesus was born, many unusual events occurred. This tells us that Jesus is a special person - the Son of God and Savior. However, those who experienced the unusual events, especially Mary and Joseph, had a difficult time.
Some unusual events bring joy, and others bring fear, anxiety, distress, anger, or disappointment. Unusual events happened to Mary and Joseph, and they happen to us. What can we do when our "normal" life has become unusual? Let's consider the experience of Joseph, who raised Jesus.
An Unusual Event
Joseph was engaged to Mary. The engagement lasted one year. During that time, they lived at their respective parents' homes, but socially, they were already considered husband and wife. One year later, they would begin their new life together. Joseph may have envisioned that they would have children and their family would grow.
One day, however, Joseph learned that his fiancée, Mary, was pregnant by another man. The angel Gabriel appeared to Mary and told her that she would conceive by the Holy Spirit and that the child would be called the Son of God and would be the Savior. Joseph may have heard this from Mary, but it was very hard to believe.
Joseph's vision of a normal married life was shattered. He never imagined that such a thing would happen to him. Joseph must have wondered what would happen to him and what he should do.
Joseph did not want anything special. If Mary had conceived a year later, it could have been accepted as Joseph's child without any worries. Neither Mary nor Joseph would have been surprised, troubled, afraid, or angry.
Even when we think that being normal is good and we don't want anything special, sometimes unexpected things happen in our lives. We may think it wasn't supposed to be like this, but the future we envisioned is lost. We may not be able to do what we wanted, or our relationships with others may change. No one wants such "unusual events," and it can be difficult to accept those events when they happen.
Joseph’s Choice
In the Jewish society of the time, when such a situation occurred, Mary would be blamed. Then, according to the Torah, Mary would be considered to have betrayed her fiancé and would be stoned to death, along with her unborn child.
But Joseph did not make the usual choice. He "did not want to expose her to public disgrace, he had in mind to divorce her quietly" (Matthew 1:19). Joseph did not want Mary to be in danger, but he also did not want to remain married to her, so he made a choice to leave her quietly. This was the best he could think of.
Joseph is said to have been a "righteous man.” He must have carefully kept the law given to him by God. We can imagine that he was a man who was not only faithful to God, but also to those around him, living a life of integrity and love. It is more important to act on God's love and mercy than to literally carry out the punishments prescribed in the law.
In the Old Testament book of Isaiah, there is a passage called "The Servant of the Lord.” It is a prophecy about the Savior whom God will send to the world. The first part of the passage in Isaiah 42 says:
He will not shout or cry out,
or raise his voice in the streets.
A bruised reed he will not break,
and a smoldering wick he will not snuff out.
In faithfulness he will bring forth justice;
he will not falter or be discouraged
till he establishes justice on earth.
In his teaching the islands will put their hope.” (Isaiah 42:2-4)
Mary was like a bruised reed, a dying lamp. No one understood what she was saying, and she was facing a harsh punishment. It must have been difficult for Mary, who was still young, to carry out God’s mission while being so isolated.
Joseph obeyed Isaiah's prophecy rather than having Mary punished. It was important to him, and it was the right thing to do. Even though he could not marry Mary, Joseph thought it was what he should do. People around him might have criticized Joseph's choice and called for her punishment. Yet Joseph had the courage to do what he thought was right.
Joseph’s choice helped fulfill God’s plan. It is not clear why Joseph was chosen to be the father of Jesus. But Joseph's righteousness, courage, and fortitude make him a worthy man to be the father of Jesus.
An Angel's Message to Change Perspectives
Joseph's choice to divorce Mary was the best he could have made. But God offered Joseph a different path: to take Mary as his wife. An angel of the Lord appeared to Joseph in a dream and said to him:
"Joseph son of David, do not be afraid to take Mary home as your wife, because what is conceived in her is from the Holy Spirit. 21 She will give birth to a son, and you are to give him the name Jesus, because he will save his people from their sins.” (Matthew 1:20-21)
It was an unthinkable choice for Joseph to take Mary as his wife and raise her child as his own. It was an unusual choice, even more unusual than Joseph's first choice in this unusual event.
Joseph must have been surprised. However, even if he had heard from Mary about her experience, it was probably easier for him to accept the angel's message. Joseph may have felt like this: “What Mary had said was true. Mary did not betray me. I do not have to leave Mary. Rather, the two of us will protect and nurture this precious child according to God's plan.”
Joseph saw the event of his fiancée Mary's pregnancy from his own perspective and tried to find the best plan for this situation. However, the angel's message prompted Joseph to look at the event from a completely different perspective. He learned the event should be interpreted from God's perspective, and asked: “What did this unusual event mean to God? What is God trying to accomplish here?”
Joseph, after receiving the angel's message, was able to see the event from God's perspective. By doing so, he was able to accept the unusual event and take part in it. But the people around him might not have had the same perspective. If the people only saw the event from their own perspective, they would still have strongly condemned the couple. Even in the face of such opposition, Mary and Joseph made the decision to trust God and live together.
Seeing from God's Perspective
It is very important to change one's point of view. The Dalai Lama, the Dharma King of Tibetan Buddhism, speaks of the importance of changing one's perspective and seeing things from a broader perspective.
For every event in life, there are many different angles. When you look at the same event from a wider perspective, your sense of worry and anxiety reduces, and you have greater joy.”
So therefore, if you look from one angle, you feel, Oh, how bad, how sad. But if you look from another angle at that same tragedy, that same event, you see that it gives me new opportunities.”
(“The Book of Joy: Lasting Happiness in a Changing World” Avery: 2016)
We inevitably focus on the present, or fail to see the big picture or the long term. We get caught up in what we see and what we think we see, and we make bad choices based on fear or anger. But when we can see things from a different perspective, we can see the current situation more optimistically. It also helps us realize that there are other options and that we don’t have to be worried about the future.
A friend of the Dalai Lama, Desmond Tutu, Archbishop of the Anglican Church in South Africa, said it is important to have "the perspective of God's eyes.” This gives us peace of mind and allows us to face unusual events with creativity and compassion.
Joseph, too, was able to see the event of Mary's pregnancy from God's perspective thanks to the angel's proclamation. Until then, he had been thinking only about himself and Mary, and the best he could do in that situation.
From God's perspective, not only Mary and Joseph, but the welfare of all people were considered. Mary's child would be the one who would save the world. What God had promised and what the Jewish people had been waiting for would be fulfilled. Mary and Joseph may have suffered because of this, but they found hope from God's perspective of the events.
Unusual events happen to us as well. Unexpected events and unwanted experiences can cause pain, fear, and anger. At such times, if we stop for a moment and look at things from another perspective, we can see things that we did not see before. We can understand that while there are certainly problems in life, we can find a way to overcome them. There will be unexpected help and important realizations.
Because God has created a diversity of people, we can share many perspectives. And through this, we can see from God's perspective as well. We pray and ask God to help us understand what He is trying to teach us, what He is trying to do in this world, and the meaning of what we are experiencing.
God has a plan for this world that he puts meaning into the "unusual events" that we experience. There are things that God is doing through our lives, and we should pray that we see them through God’s perspective.
Pastor: Nozomu Sugiyama
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