イエスの母となったマリアが天使から救い主を身ごもることを予告された後、親戚のエリサベトを訪ねたときに歌ったとされるのが「マリアの賛歌(マグニフィカート)」です。
私の魂は主を崇め、私の霊は救い主である神を喜びたたえます。
この卑しい仕え女に目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人も私を幸いな者と言うでしょう。
力ある方が私に大いなることをしてくださったからです。
その御名は聖であり、その慈しみは代々限りなく、主を畏れる者に及びます。
主は御腕をもって力を振るい、思い上がる者を追い散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、富める者を何も持たせずに追い払い、
慈しみを忘れず、その僕イスラエルを助けてくださいました。
私たちの先祖に語られたとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。
(ルカによる福音書1章46~55節)
マリアは神様がこの世の秩序をひっくり返す方であることを歌いました。神様は高ぶる人をその座から追い散らし、軽んじられてきた人を引き上げます。それは今、力や富、地位を持っている人に代わって、別な人がその力や富、力を持つということではなく、神による新しい秩序が実現するということです。ちょっと過激に思えるかもしれませんが、何世紀もの間、支配と圧政のもとで苦しめられてきた人々にとってそれは悲願でした。国軍によるクーデターから1年10ヶ月が経ち、今も多くの国民が弾圧に苦しんでいるミャンマーのことも思い浮かびます。マリアの子として生まれたイエスは、最も低くされたところに生まれ、運命の逆転という希望を引き受け、神による新しい秩序を開始する方となりました。
牧師 杉山望
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