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望まない変化の先にある希望

SilviaによるPixabayからの画像

 

昨日、今年度の日本バプテスト連盟・定期総会に提出予定の議案に関する懇談会に参加しました。そこで話されたことは、私たちの教会にも必ず影響が出るものです。例えば、連盟の財政はひっ迫していること。加盟教会からの協力伝道献金の総額は、この20年間で3分の2にまで減少し、様々な活動や支援に用いていた基金・資金は枯渇しました。今後、人件費も会議費も制限され、聖書教育誌も採算が取れなければ発行が断念されます。また、牧師になろうとする献身者の減少傾向を考えると、これからは「牧師を外から呼んでくる」ということが難しくなり、自分たちで説教や牧会を担う必要に迫られる教会が増えていきます。連盟は今、機構改革の必要に迫られています。それも部分的な変化ではなく、新しく連盟を結成し直すほどの大きな変化の必要に迫られています。

 

現在、直面している諸課題は、突然に生じたものではなく、10年・20年前から指摘されてきたものです。しかし、それに対応できず、変わることを選べなかったことで、緩やかな変化ではなく、急激な変化とならざるを得なくなりました。課題を指摘されながら、変わることができなかったことは、例えば地球温暖化への対応にも見られますし、聖書の中のイスラエルの歴史にも同じようなことが見られます。そこには人間に共通した性質があるのかもしれません。神様の呼びかけに耳を塞ぐこの性質に、人間の罪が表れています。

 

聖書教育では今、エズラ記とネヘミヤ記を読んでいます。それはユダ王国が滅亡し、バビロニア帝国に捕囚とされた人々が、数十年の時を経てエルサレムに帰還し、城壁や神殿を再建していく出来事を記録したものです。人々の罪によって引き起こされた望まれない変化は絶望的な状況を招きましたが、それで終わりではなかったのです。苦難を耐え忍び、過去の過ちを悔い改める日々の先に、神様は希望をもたらしてくださいました。私たちが経験することの先にも、神様はきっと希望を与えてくださるでしょう。

 

牧師 杉山望