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神さまに丸投げ

İbrahim Mücahit YıldızによるPixabayからの画像

ムスリムがよく使う言葉の一つに、「インシャアッラー」(アラビア語)という言葉があるそうです。これはコーランに、「インシャアッラーという言葉を付け加えないで、明日それをすると言ってはならない」と定められていることに由来します。「神が望めば」とか、「神の御意思のままに」というような意味の言葉です。例えば、「試験、受かるといいね」と言うと「インシャアッラー」と答える。タクシーの運転手に目的地を伝えるたときに、「インシャアッラー」と応じる、などと使われるそうです。まるで試験結果を神頼みにしていたり、目的地までたどり着く保証をしなかったりするようで、違和感があります。でもそれは、どんなことも人間にはできる、できなかったとしたら自分の責任だ、と考えているからかもしれません。

 

「インシャアッラー」と言っても、やはり精一杯の努力をすることには変わりありません。だた、その結果に対する向き合い方が違います。結果が良くても悪くても、それは「神が望んだこと」なのであり、成功した功績も、失敗した責任も、自分だけで負うことはなく、むしろ神に丸投げするのです。聖書にはそれと同じような姿勢で神に祈ったり、訴えたりする言葉があります。考えてみると、どれほど努力しても、自分(人間)の力ではどうにもできないことが起こり得ます。そんなことの責任まで負ってしまえば、ストレスは増すばかりです。

 

悪いことがあったとしても、ずっと悪いことばかりが起こるとは考えません。神は良いことも必ず起こしてくださる、と信じているからです。神は困ったり弱ったりしている人を助けるように定めていて、実際に助けられるからこそ、そう確信することができます。神に丸投げする(委ねる)ことで、私たちは荷を軽くし、将来への希望をもつことができるようになるのかもしれません。

 

牧師 杉山望