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『殺すな』という神の意志、『従え』という主イエスの招き

Moreno BoeronによるPixabayからの画像

 

 

本日、特別伝道礼拝の説教者としてお招きした奥田知志牧師は、日本バプテスト連盟において多くのメッセージを発信して来られた方です。8月に交読した「平和宣言」の作成にも携わり、2003年度の『世の光』誌において「平和宣言」を講解する形でのメッセージを掲載されました。その中で奥田先生は「世界が変わった日」と言われていた2001年9月11日(同時多発テロが発生した日)を振り返りながら、「世界は本当に変わったのでしょうか」と問いかけています。「私たちはあの日、今まで隠されていたもの、変らぬ世界の現実を見せられたような気がするのです。世界がどれだけ病んでおり、矛盾にみち、不公正に満ちていたか私たちは知ったのです。」私は新型コロナウイルスのパンデミックについても、気候変動によって相次ぐ大災害についても、同じように感じます。今の世界は根本的に何かがおかしいのです。

 

奥田先生は、世界の不均衡が「『先進国』を自称する国々による『盗みー搾取と収奪』によって起こっています」と鋭く指摘します。「私たちは、自分たちの生活が実は見えない犠牲者たちから盗んだものの上に成立していることを知らねばなりません。先に述べたように出エジプトの状況下における『盗み』は、なけなしの物を盗むことであり、それはすぐさま死活につながる問題でした。今日の世界が抱える構造的な『見えない盗みー搾取と収奪』もまた、貧しい国の人々から盗むことであるがゆえに、それは『殺すこと』と同じなのです。」このような盗みは犠牲にされてきた人たちの「死活につながる問題」であり、今や私たちにも向けられるようになりました。

 

神の救済の歴史は「人間の自己拡張、自己神格化に対する闘い」でした。「実は主イエスが十字架上で受けた『他人は救ったが、自分自身を救うことができない』という嘲弄こそ、むさぼらない者の姿を示すものだったのです。」私たちは、「ただ『殺すな』という神の意志と『従え』という主イエスの招きを聴くのです。」奥田先生を通して語られる主イエスの招きを共に聞きましょう。

(引用は『宣研ブックレット/恵みのいましめ――平和宣言を読む』から)

 

牧師 杉山望