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争っている場合ではない

Markus WinklerによるPixabayからの画像

 

「平和ってどういう状態のこと?」と聞かれたら、何と答えますか。「戦争のない状態」と答える人もいるでしょう。平和が「戦争のない状態」であることはもちろんです。「平和」に対応するのは「暴力」であり、その暴力の最たるものがだからです。しかし、たとえ戦争がない状態であっても、人権が侵害されていたり、飢餓や貧困に苦しんでいたり、環境破壊によって衣食住が脅かされたりすれば、到底平和とは思えません。構造的に生み出されているこのような「暴力」もまた、平和を損なうものです。

 

日本国憲法は、第9条で戦争を放棄することを規定しており、「平和憲法」と呼ばれ、高く評価されてきました。けれども、もし平和について述べているのが9条だけならば、それは直接的な暴力だけを考慮した「消極的平和憲法」でした。日本国憲法は、その全文の規定も含めて初めて「(積極的)平和憲法」となります。

 

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」(日本国憲法前文)

 

私たちは今、人類全体に係わる気候危機に直面しています。加えて日本では大規模な地震・噴火という災害も予想されています。本来、人間同士で争っている場合ではありません。戦争をしないことは大前提としつつ、どのように平和を作っていくことができるか、構造的に生み出される暴力を取り除いていくことができるのか、その問いに真剣に、協力して取り組む時が来ています。

 

牧師 杉山望