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終わらないと始まらない

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 

6月19日(日)主日礼拝の後、やっと杉山望牧師の就任式を行うことができた。沢山の教会からのお祝いメッセージをいただき、また、ズームでの参加、富山小泉町教会、福井教会からの出席もいただき、祝福された式典となった。

 

式典の中で、石橋大輔牧師は「終わらないと始まらない」と繰り返し語られた。今まであったものがそう簡単になくなるとも思わないし、無くしてはならないものもあると思う。しかし、伝えたかったことは「全く新しくスタートすることの大切さ」だったのだろうと思う。金沢教会におけるわたしの働きは恵の内に終わり、しっかりと新しいスタートへと移行した。

 

さて、牧師を引退して2年が経った。無牧師の教会から牧師として奉仕してほしいという声がいくつかかかった。最初は一顧だにしなかった。すでに多くの神学書は処分していた。ある教会は繰り返し、繰り返し求めてきた。しかし、わたしの答えはこうであった。「わたしは神様からいただいた牧師としての使命は神様にお返ししました。だから、もう牧師には戻りません」と。そのようにしてキッパリと断り続けてきた。

 

それでも一つの教会はあきらめなかった。その教会は福岡ベタニヤ村教会である。わたしの友人たちがかつてその教会の牧師をしていたこともあり、特伝の講師として奉仕したこともあった。

 

昨年の8月に説教奉仕の依頼があり、そこから継続したアプローチが続いた。金沢教会の無牧師時代、臨時牧師としてご奉仕をいただいたこともある安藤栄二牧師からも強いお勧めをいただいた。2度と牧師には戻ることはないと思っていたが、時間の経過とともに、何の責任もない日々は「充実感のない」ものと感じられるようになったってきた。

 

そして、ついに招聘を内諾し、先週、福岡ベタニヤ村教会の臨時総会において、「全会一致で田口先生の牧師招聘が決議されました」という連絡を受けた。何一つ具体的なことは話し合われていないし、仕事の内容も様々な条件も話し合われていない。ただ、わたしは教会の求めの中に、主のみ声を聞いた思いがした。もう少しだけ、できることをしてみようという思いが湧いた。

 

自分の健康のこと、家族のことなどがあり、手放しで働くことができるわけではない。幸い、現状では健康も回復してきており、家族の賛同も得られた。単身赴任の形を取らざるを得ないが先方はそれでも良いと言ってくれる。何人かの方々には、「金沢から離れることはありません」「どこにも行きません」と話してきた。わたしに期待してくださっていた方には、そのことを守れなくなったことを申し訳なく思う。

 

福岡ベタニヤ村教会は自立した信徒の群れである。聖書の質問が飛び交う交わりがある。金沢で学んだことを土台に、初心に帰って励みたい。祈って送り出していただきたい。

 

前任牧師 田口昭典