不思議な行動をするぶどう園の主人
イエスはこのたとえ話を、「天の国」のたとえとして語りました。天の国というのは死後の世界のことではなく、神が支配しておられるところのことです。言い換えると、それは人はこのように生き、このような関係性を作ってほしい、世界はこのようなところであってほしい、という神の意志が実現しているところです。ですからこれは神の思い描く理想的な世界の物語であり、神が創ろうとしておられる世界のことを伝える物語です。
あるぶどう園の主人が、日雇い労働者を雇うために、早朝から町の広場へと出かけていきました。その日はぶどうの収穫期で、普段よりも人手が必要であったのかもしれません。町の広場には職を求める労働者が集まっていました。主人はそのうちの何人かを選び、一日一デナリオン――当時の標準的な賃金――を支払う約束をして、自分のぶどう園へと送りました。
ここまではいたって普通の出来事です。ところが主人はここから不思議な行動を取り始めます。朝の9時ごろになって、主人は再び広場に戻ってきました。するとそこには、仕事にありつけずに広場に立っている人がいました。そこで主人は何人かの労働者に声をかけ、ふさわしい賃金を払うから、と言って、自分のぶどう園へ送りました。
ここまでなら、早朝に雇った労働者だけでは人手が足りなかったので、追加で雇った、ということも考えられます。けれども主人はさらに昼の12時ごろと午後3時ごろにも町の広場へと戻って来て、同じように何人かの労働者をぶどう園へと送りました。
そしてついに、主人は午後5時ごろにも広場にやってきました。一日のうちで5回も、町の広場と、町の外にあったぶどう園との間を往復するなんて、普通のことではありません。しかも最後に雇ったときには、日暮れまであと一時間ほどしか残っていません。そのため、主人の行動には、人手不足以外の何かの動機があったとしか考えられなくなりました。
追い込まれた労働者
日暮れまであと一時間ほどしか残っていないのに、町の広場にはまだ仕事を求めて立ち続けている人がいました。主人は彼らに、「なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか」と問いかけました。すると彼らは、「だれも雇ってくれないのです」答えました。この人たちは、どのような状況に置かれていたのでしょうか。
彼らは「日雇い労働者」でしたが、その多くはもともと自分の畑をもっており、その畑からの収穫物によって暮らしていました。ところが天候不順で収穫が少なくなったり、怪我や病気で働けなくなったりして借金が重なったため、彼らは土地を手離して日雇い労働者にならざるをえなくなりました。
日雇いの仕事は非常に不安定です。収穫期などにはたくさんの仕事がありますが、その時期が過ぎると仕事は減り、雇ってもらうことが難しくなります。仕事内容も、肉体労働や危険が伴うものが多く、怪我や病気になっても保障はありませんので、すぐに収入が途絶えてしまいます。そのため、日雇いの労働者は崖っぷちの生活を送らざるを得なかったのです。
だから彼らはボーっとして広場に立っていたわけではありません。今日一日を生き延びるために――家族と共に生き延びるために――彼らは仕事を得るチャンスを掴もうとしていました。諦めて無気力に座り込んでいたのではなく、わずかなチャンスも逃すまいとして、早朝から何時間も何時間も広場に立ち続けていました。周りの人たちからの、蔑んだ視線や、同情の視線にも耐えながら、希望を失うまいとして立ち続けていたのです。
それも当たり前のことではありません。最初の何時間はまだしも、昼も過ぎてだんだんと日が傾いていくにつれて、仕事を得られる期待も失われていきます。「今日はもう無理だ、明日にかけよう」と思って、家に帰る人もいたかもしれません。それだけに、夕方まで立ち続けた人は、わずかな報酬であっても何とかして手にしたい、そうしなければ生きられないという切実な思いがあったのかもしれません。
気前のいい主人
そんな労働者たちに目を向け、心を配ったのが、あのぶどう園の主人でした。もちろん主人は、自分のぶどう園の働きのために人手を必要としていました。けれども、労働者を何度も雇った動機には、自分の必要を越えたものがありました。
町の広場に立ち続ける人たちに声をかけ、自分のぶどう園へ送り続けたのは、日雇い労働者となった人たちのためでした。彼らを雇うために、主人は自分の時間も、労力も、財産も使っています。放っておけば、彼らは必要なものが得られずに、失望と不安を抱きながら家に帰らざるを得なくなることを、主人は知っていました。だんだんと追い込まれていく状況の中で忍耐強く待ち続ける彼らに、主人は応えずにはいられませんでした。
日が暮れて、一日の仕事が終わった時、主人はぶどう園の管理者に指示して、最後に来た者から順に賃金を払わせました。すると何と主人は、最後に来た人たち――つまり5時ごろに雇われて、ほとんど働く時間もなかった人たち――に対して、一日分の賃金である一デナリオンを渡しました。
これは受け取った本人にとっても驚きだったでしょう。この様子は全ての労働者が見ていました。3時から来た人も、12時から来た人も、9時から来た人も、そして早朝から来て、一日中働いた人も……。その誰もが驚いたでしょうし、「それでは自分はいったいいくらもらえるのだろうか」と期待を膨らませたことでしょう。
順番に労働者たちが呼ばれました。3時から来た人たちも一デナリオンを受け取りました。12時から来た人たちも、9時から来た人たちも、やはり一デナリオンを受け取りました。最初に来た人たちは、その様子をどんな思いで見ていたことでしょうか。戸惑いながら、それでも自分たちだけはもっと多くもらえるだろうという期待も捨てきれなかったのではないでしょうか。
ところが彼らの期待は外れ、渡されたのはやはり一デナリオンでした。すると彼らは主人に向かって文句を言いました。
「最後に来たこの人たちは一時間しか働きませんでした。それに比べて、私たちは一日中、暑い中を辛抱して働きました。それなのに、私たちとこの人たちを同じように扱うとは、いったいどういうことですか!?」
そう言いたくなる気持ちもよくわかります。長く働いて苦労した分だけ、多くもらうのが当然ではないか、と彼らは訴えました。それでも、主人は彼らにこう答えました。
「友よ、私はあなたに何も不当なことはしていない。あなたは私と一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。」
確かにその通りです。主人は最初の人たちと、一日一デナリオンを渡すという約束をしていました。後から雇われた人たちには、「ふさわしい賃金」を払うとしか言っていません。ですから主人は誰をもだましてはいません。約束を破ってもいません。主人はただ、気前がよすぎただけなのです。
神の国への招き
確かにそうだけれども、納得がいかないと思われるかもしれません。このぶどう園の主人が行ったことは当時においても、現代においても、常識から外れています。
主人がそのように非常識なことを行ったのは、失望や不安の想いと向き合い続けながら、僅かな望みを手離さずに立ち続けた人たちのことを想ったからです。その人たちに応えて、今日を生きる力と、明日に向かう希望を与えたいという想いに強く促されたからです。
このたとえ話は現実の社会のあり様を教えるものではありませんでした。それは神の国のたとえ話――神の思い描く理想を語り、神が創ろうとしておられる世界のことを伝えるための物語でした。ぶどう園の主人とは神のことです。その主人に雇われた日雇い労働者たちが私たちのことです。私たちが希望を失いそうになったり、不安に押しつぶされそうになったりするときには、神は何度でも私たちのもとへ足を向け、今日を生きる力と、明日に向かう希望を与えようとされるのです。
イエスはこのような物語を語り、「このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」と語られました。それが神の国であり、神が導こうとしている世界の姿です。そこでは失望や不安から先に解放されて、長く働き続けた人にもふさわしい報いが与えられます。ただそれでは終わらずに、失望と不安の中に取り残され、最後にようやくそこから引き上げられた人たちにも、同じように神は恵みを与え、祝福されるのです。
私たちはどの時間に雇われた人の立場から、この物語を聞くでしょうか。後から声をかけられた人の立場から聞くならば、私たちは心から神に感謝します。暑い中を、主人が何度も町の広場へと出かけて行ったように、神は力を希望を失った私たちを探し出し、声をかけ、ご自分のもとで再び命を得るようにと招いてくださるからです。
そして、最初に声をかけられた人の立場から聞くならば、私たちは謙遜を学ばなければなりません。私たちが豊かになったり、恵みを受け取ったりしたのは、神から与えられた賜物によるのです。神は誰も取り残されず、同じように豊かになり、恵まれることを望んでおられます。自分たちだけが豊かであり、恵まれていることを当然と思うことは、神の想いから離れた傲慢な態度です。
イエスの語ったたとえ話では、主人が語ったことへの労働者の応答はありません。「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」という神の国が来ることを喜ぶかどうか、それを望み、気前のいい神に従って生きるかどうか。その応答は私たちに委ねられています。イエスが私たちに問いかけています。「あなたはこの主人に何と答えますか」、と。
牧師 杉山望
May, 22, 2022, Joint Worship Service with Gifu Baptist Church
"The Last Will Be First, and the First Will Be Last"
Scripture reading is taken from Matthew 20:8-16
The Landowner of the Vineyard Who Acts in Mysterious Ways
Today’s parable was told by Jesus as a parable of the “kingdom of heaven.” The kingdom of heaven is not about the afterlife, but about God's dominion. In other words, it is where God’s will is fulfilled, where God wishes people to live and create relationships with each other in a certain way, and where the world is the way God wishes it to be. Thus, this story is of the world God envisions, a story that tells us of the world God is creating.
A landowner went out early in the morning to the marketplace to hire workers for the day for his vineyard. Perhaps, it was harvest time and he needed more workers than usual. The marketplace was filled with workers looking for a job. The landowner chose some of them, agreed to pay them a denarius for the day, which was the standard wage at the time, and sent them to his vineyard (Matthew 20:2).
The events up to this point seem quite normal. But then, the landowner begins to act mysteriously. “About nine in the morning he went out and saw others standing in the marketplace…” (Matthew 20:3), unable to find work. He called out to some of the workers and sent them to his vineyard, promising to pay them “whatever is right” (20:4).
The landowner may have hired additional workers because those hired early in the morning were not enough. Yet, he returns to the marketplace again at about noon and about three in the afternoon, sending more workers to his vineyard in the same way.
Finally, at about five in the afternoon, the landowner went out to the marketplace again. It was not normal for someone to make five trips in a day between the marketplace and their vineyard, which was located outside of town. Moreover, when he hired the last workers, there was only about an hour or so until evening. So, we can only assume that he had another motive for his actions besides a lack of workers.
The Workers Who were Cornered
Although there was only an hour or so left until evening, there were still people standing in the marketplace looking for work. The landowner asked them, “Why have you been standing here all day long doing nothing” (Matthew 20:6). They replied, “Because no one has hired us” (20:7). What kind of situation were these people in?
These people were "day laborers," many of whom originally had their fields and lived off the harvest of those fields. However, due to harsh weather and reduced harvest, or the inability to work because of injuries or illnesses, debts mounted, and they were forced to give up their land and become day laborers.
Being employed on a day-by-day basis was very unstable. While there were plenty of jobs during the harvest season, jobs decreased afterward, and it was difficult to get hired. Many of the jobs required physical labour, were dangerous, and there were no guarantees in case of injury or illness, so income could quickly cease. Thus, day laborers were those who had no choice but to earn a precarious living.
These workers did not stand in the marketplace idly. They were trying to survive for the day - to survive with their families - and were determined to seize the chance to get a job. Instead of giving up and sitting around powerlessly, they stood for hours and hours from early in the morning, not wanting to miss even the slightest opportunity. They endured the scornful stares and sympathetic looks from those around them and continued to stand, trying not to lose hope.
This was not something easy. After the first few hours, and as the daylight gradually dwindled, any hope of getting a job was lost. Some may have gone home thinking, "Oh well, it’s not going to happen today, let's put it off for tomorrow.” That is why those who continued to stay until evening may have had a sincere desire to somehow obtain even a small pay because they could not live without it.
The Generous Landowner
In today’s story, the landowner looked out for such workers and cared for them. Of course, he may have needed help for his vineyard, but his motives for continually hiring workers went beyond his personal needs.
The landowner kept calling out to those who stood in the marketplace and sent them to his vineyard for the sake of those who had become day laborers. The landowner used his own time, effort, and wealth to hire them. He knew that if they were left alone, they would not get what they needed and would be forced to return home in anxiety and disappointment. He could not help but respond to their persistent waiting, despite the desperate situation that they were in.
When evening came and the day’s work was done, the owner of the vineyard instructed his foreman to pay the wages, “beginning with the last ones hired and going on to the first” (Matthew 20:8). Then, to the workers’ surprise, the owner gave those who came last-those who had been hired around give in the afternoon and hardly had time to work- one denarius, a day’s wages.
It must have been a surprise to those who received their wages. All the other workers witnessed this: those who came at three, those who came at noon, those who came at nine in the morning, and those who came early in the morning and worked all day. Everyone must have been amazed and wondered how much they would be paid.
The remaining workers were called in order: those who came at three in the afternoon received a denarius, those who came at noon, at nine in the morning, and those who came early in the morning also all received a denarius. What could have been the thoughts of those who came first? They could have been perplexed and could not give up the expectation that they alone would receive more.
However, their expectations were not met, and they received only one denarius. “When they received it, they began to grumble against the landowner. ‘These who were hired last worked only one hour,’ they said, ‘and you have made them equal to us who have borne the burden of the work and the heat of the day.’ (Matthew 20:11-12).
It is quite understandable that they would grumble. They complained that they deserved to receive more for all the arduous work they had done.
“But he answered one of them, ‘I am not being unfair to you, friend. Didn’t you agree to work for a denarius? Take your pay and go…” (Matthew 20:13-14a)
This is indeed true. The landowner promised those he first hired to give them a denarius for a day’s work. To those he hired later, he only said that he would pay them “whatever is right” (Matthew 20:4) He is not cheating anyone, nor did he break his promise. He was just being too generous.
Invitation to the Kingdom of God
Indeed, the landowner is generous. But at the same time, it may be quite hard to accept. Additionally, the actions he took may have been against common sense, both now and back then in Jesus’ time.
The landowner acted in such an odd way because he cared for those who continually faced disappointment and anxiety, who grasped on to the slightest bit of hope. He was strongly inspired by the desire to meet them and to give them the strength to survive today and give them hope to face tomorrow.
This parable is not a lesson about the realities of society. It is a parable about the Kingdom of God - a story about what God envisions and about the world God is creating. The landowner/owner of the vineyard is God. The day laborers hired by the owner are us. Every time we are about to lose hope or are being overwhelmed by anxiety, God goes out to us, again and again, to give us the strength to live today and to hope for tomorrow.
When Jesus told this parable, he said, “So the last will be first, and the first will be last.” (Matthew 20:16). This is the kingdom of God and the world that God is leading us. It is there where those who have been working for a long time, at an earlier time, will also be freed from anxiety and disappointment and be given “whatever is right.” But it does not end there. In the same way, God blesses and bestows grace upon those who have been left behind in anxiety and disappointment, to those who have been finally lifted last.
From whose perspective do we listen to this parable? If we listen to it from the perspective of those who were called upon later, we may thank God from the bottom of our hearts. Just as the landowner went out into the marketplace multiple times in the heat of the day, God comes to us when we have lost our hope and strength, calling us, inviting us to return to God to live our lives anew.
And if we listen from the perspective of those who were called first, we should learn humility. It is by what God has given us that we have become abundant and have received grace. God does not wish for anyone to be left behind, but that they live abundantly and be blessed in the same way. To think that we alone deserved to be abundant and blessed is arrogant and far from what God desires.
In today’s parable, the workers do not reply to the final words of the landowner. How they respond is left up to us, the readers, as to whether we will delight in such a kingdom of God, in which “the last will be first, and the first will be last.” Do we hope in and live in obedience to such a generous God? How we respond is up to us. Jesus asks us, “What would you say?.”
Pastor Nozomu Sugiyama
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