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『救い主はどこにおられますか?』マタイによる福音書2章1~12節

Gerd AltmannによるPixabayからの画像

イエス誕生に対する二つの反応

 

マタイ福音書では、イエスの誕生の知らせに対するヘロデ王の関わりが記されていることが特徴的です。マタイ福音書の2章全体にわたって、ヘロデ王に関することが書かれています。

 

ヘロデ王は、紀元前37年から紀元前4年まで、ユダヤの支配者でした。彼はローマ軍の支援を受けて、ガリラヤの村々を荒らし、抵抗運動を鎮圧し、エルサレムを襲撃して、ユダヤの絶対的な君主となりました。

 

ヘロデ王は巧みな交渉と莫大な贈り物によってローマ帝国からの信頼を勝ち取り、ユダヤの王としての地位を不動のものとしました。またエルサレム神殿の大規模な改築工事や宮殿の建築も行ないました。表面的には大きな戦争もなく、ユダヤは繁栄していました。

 

そこに東の国の学者たちが訪ねてきました。イエスが誕生したころ、彼らは東の国で、不思議な星を見つけました。その星について調べると、それはユダヤに新しい王が生まれたことを知らせる星だとわかりました。そこで彼らは、その新しい王を礼拝するために、遠い東の国から訪ねて来たのです。

 

しかしそれは、ヘロデ王にとって良い知らせではありませんでした。もともと、彼は妻や息子であっても、自分の地位を脅かす存在だと見なしたならば、殺害してしまうような人物だったのです。ヘロデ王にとって、「新しい王の誕生」というのは不吉な知らせでしかありませんでした。

 

ヘロデ王は、学者たちの話を聞いて不安を抱きました。エルサレムの人々も同様に不安を抱きました。この知らせを聞いたのがガリラヤの人々であれば、むしろ大いに喜んだかもしれません。ガリラヤでは、ヘロデ王の支配に対する抵抗運動が続いていました。激しい弾圧を続けるヘロデに代わる王が誕生することを、ガリラヤの人々は待ち望んでいました。しかし、ヘロデ王のもとで「平和」と繁栄を得ているエルサレムの人々にとって、新しい王の誕生は歓迎できないことでした。

 

このとき、エルサレムから10㎞ほどしか離れていない小さな町ベツレヘムで、既にイエスはベツレヘムでお生まれになっていました。遠い東の国の学者たちは、その出来事に期待しながら旅をしてきました。それに対して、ヘロデ王とエルサレムの人々は、新しいことが起こることに不安を感じました。そこではイエスの誕生に対する正反対の反応が表れていました。

 

 

神の国の先取り

 

イエスの誕生について、正反対の反応が現れるのは、イエスがこの世に――この世に生きる私たち人間に――新しいことをもたらすからです。イエスは神の国の到来を告げ知らせ、神の国を人々の間に現されました。

 

最大の神学者の一人であるアウグスティヌスは、イエスが伝えた「神の国」に対して、この世を「地の国」と呼びました。彼は神の国と地の国は、二つの愛によって識別することができる、と述べます。地の国は、人間の支配欲によって支配される。一方、神の国においては、人々は互いに愛において仕える。そこに存在するものは同じだけれども、それを用いる目的と意図の違いによって、そこに神の国が現れもするし、地の国のままであることもあります。

 

神の国と地の国と言っても、それは明確に線引きすることができるわけではありません。私たち人間もその二つの間を同時に生き、どちらにも属しながら存在しています。神の国だけに生きる人もいなければ、地の国だけに生きる人もいない。誰もが多かれ少なかれ、その両方が混ざり合った中に生きています。

 

人間は隣人を愛することができる一方で、支配欲に捕らわれてしまうこともある。地の国では、支配欲に駆られた複数の力がバランスを取り、表面的には平和な秩序が保たれることもあります。

 

けれどもその根底にあるものは自己愛です。それぞれの損得だけに基づく秩序であれば、いつお互いの自己愛がぶつかり合って、その秩序が壊れるかわかりません。そして壊れた時には、支配欲に駆られてより大きな衝突が起きるかもしれません。そのような「地の国」は、闇の世界です。

 

イエスはそのような危険性をはらんだ世界に対して、神の愛の支配に基づいた新しい世界の到来を宣言し、その世界へと人々を招きました。それは個人が全体のために犠牲にされるものではなく、問題を先送りにした現状維持でもありません。むしろその現実の只中で、新しい世界に生きるように、人々を招くものです。そのために、古い世界での生き方を捨てるように求めるものです。

 

神の国は到来しつつある。地の国の過酷な現実に対して、神の愛が光となって差し込んでくる。その神の愛に応え、その愛を反映する応答を、イエスは求めています。人間の自己愛を覆し、イエスが示された愛において互いに仕え、連帯する生き方を先取りして始めるように、招いているのです。

 

 

フェアトレード

 

私たちの教会では、今年の秋からフェアトレード商品の取扱いを始めました。日本においてフェアトレードの普及をけん引してきたのは、松木傑(すぐる)さんという方です。松木さんは日本福音ルーテル聖パウロ教会の牧師です。彼は教会の行事で1992年2月に欧米諸国の国際協力団体を訪問した際に、ドイツのフェアトレード紅茶と出会いました。そこで持ち帰ったフェアトレード紅茶を教会の総会などで販売したことが始まりだったそうです。

 

同じ年の8月には開発途上国の産品を購入することでその国の人々を知り、支援するフェアトレードを目的として、松木さんは「わかちあいプロジェクト」を立ち上げました。またこの年は東アフリカのソマリアで、内戦による厳しい飢餓が発生した年でもあったので、ソマリア難民救援のための募金も行ったそうです。

 

「わかちあいプロジェクト」のホームページでは、その活動の理念(Mission)を説明しています。

 

「神を愛し、隣人を愛せよ」との聖書の考え方に基づき、人種、宗教にかかわらず、人間としての必要条件と尊厳が失われている世界の人々がより人間らしい生活ができるよう、経験、技術、財を『わかちあうこと』

 

松木さんは、「フェアトレードは貧困問題、環境問題という最も重要な課題を一般市民一人一人が解決できる方法」であり、「フェアトレードですべてが解決されるとは思っていませんが、フェアトレードの普及によって世界が良い方向に変わってきているのも事実」だと語っています。

 

支配欲に支配されたこの世界の中で、「神を愛し、隣人を愛せよ」との戒めに基づいた取り組みは、イエス様が告げ知らせた神の国を先取りするものです。何かの取り組みだけで闇が消え去り、光だけの世界に変わるわけではありませんが、闇の中に光を灯すことは、今も到来しつつある神の国の希望を先取りすることとなるのです。

 

 

神の国の光を求めて

 

イエスの誕生は、神の国の到来を告げるものでした。それに対して、地の国が続くこと――あるいはそれをさらに拡大すること――を望んだヘロデ王やエルサレムの人々は、その知らせに不安を感じ、実力をもって抵抗しようとさえしました。

 

一方、東の国の学者たちは、新しい王としてお生まれになったイエスを捜し求めました。不思議な星が彼らに先立って進み、幼子イエスがおられる場所を指し示すと、彼らはこの上もないほどに喜びました。家の中に入り、幼子イエスを見つけると、彼らはその前にひれ伏して拝み、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げました。

 

古代の人々にとって、長い旅をすることは様々な危険が伴いました。学者たちがらくだに乗ってきたとしても、それは命がけの旅でした。また、彼らが献げた贈り物は王に献げるとても高価な物でした。

 

学者たちには確かな地位があり、安定した生活があったことが伺えます。その点は、ヘロデ王やエルサレムの人々と同様です。けれども彼らは現状維持を望みませんでした。自分たちがより多くの物を持つことや、より強大な力を持つこと、安定した豊かな生活を続けることを第一とはせず、危険を冒して新しい王を拝みにやって来ました。

 

彼らにとって、新しく生まれた王は、それほど尊い方だったからです。闇のような地の国ではなく、愛に基づく神の国の光を彼らは見たかったのです。彼らが見出した不思議な星の光は、闇の中に輝く光の誕生を表していたのです。

 

救い主として生まれた方を見いだすために、彼らはエルサレムへ出かけて行きました。私たちはどこで救い主にお会いすることができるでしょうか。今の世界も支配欲が支配する闇の世界のように見えます。それでも、イエスが示された神の国はどこかで必ず見出すことができるでしょう。私たちもその光を探しに出かけましょう。そして私たちもその光をもって、新しい年を歩んでまりいましょう。

 

牧師 杉山望


December, 26th 2021  Sunday Service

" Where is the Saviour? "

Scripture reading is taken from Matthew 2:1~12

 

 

Two Reactions to the Birth of Jesus

 

The Gospel of Matthew is unique in that it describes King Herod's reaction to the news of Jesus' birth. The entire second chapter of Matthew's account is about King Herod.

 

King Herod was the ruler of Judea from 37 BC to 4 BC. With the support of the Roman army, he ravaged the villages of Galilee, crushed any resistance movements, stormed Jerusalem, and became the undisputed ruler of Judea.

 

Through skilful negotiations and enormous gifts, King Herod won the trust of the Roman Empire and thus maintained his position as the king of Judea. He also undertook a major renovation of the temple in Jerusalem and built a palace. With no major wars as well, on the surface, Judea seemed prosperous.

 

In such a setting, the Magi from the east made their visit. Around the time that Jesus was born, while they were in their land, they found a strange star. When they studied it, they found that it was the star that announced the birth of the new king of Judea. So, they travelled from the far east to worship the new king.

 

This was not good news for King Herod, who would kill his wife or son if he saw them as a threat to his position. For King Herod, this birth of a new king was nothing but bad news.

 

When King Herod heard this news from the Magi, he was disturbed, and so were the people of Jerusalem. If it had been the people of Galilee who heard this news, they might have been delighted because there was an ongoing resistance movement against King Herod's reign. The people of Galilee were anticipating the birth of a new king to overthrow the current oppressive reign. But for the people of Jerusalem, who had enjoyed “peace” and prosperity under King Herod’s reign, this new king was not welcome.

 

By this time, Jesus was already born in Bethlehem, a small town only ten kilometres away from Jerusalem. The Magi from the east travelled with great anticipation while King Herod and all of Jerusalem were disturbed by this new event. The two reactions towards Jesus’ birth were completely the opposite.

 

 

A Foretaste of the Kingdom of God

 

The reason for these opposing reactions is because Jesus started something new in the world--to us humans living in this world. Jesus proclaimed the coming of the kingdom of God and made it manifest among the people.

 

One of the greatest theologians, Augustine, called our world the "Earthly City" as opposed to calling the kingdom of God that Jesus preached the “City of God.” Augustine stated that the “City of God” and the “Earthly City" can be distinguished by the two kinds of love. The "Earthly City" is ruled by the human desire to control and dominate. Whereas in the "City of God", people serve one another in love. The things that exist in both cities are the same but depending on the intention and purpose for which they are used, the "City of God" can be revealed there, or it remains to be the "Earthly City". 

 

There is no clear line between the "City of God" and the "Earthly City". We, humans, live between the two cities and belong to both at the same time. No one lives only in the "City of God", nor does anyone live only in the "Earthly City". Everyone lives in a mixture of both, to a greater or lesser extent.

 

While we humans can love our neighbours, we also can be taken hold by the desire to control. In the "Earthly City", multiple forces driven by this lust for dominance can balance each other out on the surface, maintaining a “peaceful” order.

 

However, at the root of that balance and order is selfish love. If the order is based only on individual interests, there is no telling when the self-love of each party will clash, and the order will be broken. And when it does, the desire to dominate may lead to greater conflict. Such an "Earthly City" is a world of darkness.

 

Into such a dark and dangerous world, Jesus proclaimed the coming of a new world and reign based on God's love and invited people to join it. Such a world is not reliant on individuals being sacrificed for the good of the whole, or current situations maintained by not dealing with obvious problems. Rather, this new world beckons people to live in it amid the dark reality. It calls for people to abandon their old ways of living in the world.

 

The kingdom of God is coming. God’s love is shining on the harsh realities of the “Earthly City” as the light. Jesus calls us to respond and reflect this love of God. Jesus invites us to overturn selfish love and to get a foretaste of the kingdom of God by living the way of life that Jesus showed us that serves and stands in solidarity with one another in love. 

 

 

Fairtrade

 

Starting this fall, our church has started selling fair trade products. The person who has been leading the spread of fair trade in Japan is Mr. Suguru Matsuki. Mr. Matsuki is the pastor of St. Paul's Church of Japan Evangelical Lutheran Church. He first encountered fair trade tea from a German organization when he visited Europe in February 1992 for a church conference. He took the fair-trade tea back with him and started selling it at his church's general meetings.

 

In August of the same year, Mr. Matsuki launched the "Wakachiai Project” (Sharing Project), a fair-trade project that aims to support people in developing countries by purchasing their products. 1992 was also a year of severe famine in Somalia, East Africa, due to civil war, so he also raised funds for the Somali refugee relief.

 

The mission of the Wakachiai Project is explained on its website as follows. 

 

“Our mission is based on the biblical principle of "love God and love your neighbour". We aim to share our experiences, skills, and goods so that people around the world, regardless of race or religion, can live a fuller human life, even though they have been deprived of their human needs and dignity.”

 

Mr. Matsuki also noted, "Fair-trade is a way for every ordinary person to solve the most critical issues of poverty and the environmental problems…I don't believe that fair-trade will solve everything, but the spread of fair-trade is indeed changing the world for the better.”

 

In a world dominated by the lust to control, such efforts based on the commandment to “love God and love your neighbour” is a foretaste of the kingdom of God that Jesus proclaimed. This does not mean that certain initiatives will make the darkness disappear and that the world will be transformed to a world of only light but shining the light in the darkness gives us a foretaste or a glimpse of the kingdom of God that is coming.

 

 

Seeking the Light of the Kingdom of God

 

The birth of Jesus marked the coming of the kingdom of God. In response, King Herod, and the people of Jerusalem, who wanted the “Earthly City” to continue - or even expand -, were disturbed by the news and even tried to resist it with force.

 

Meanwhile, the Magi from the east sought out the new king, Jesus, who had been born. When a mysterious star preceded them and pointed to the place where the infant Jesus was, they were overjoyed. They entered the house, and when they found the infant Jesus, they bowed down before him and worshipped him, offering him gifts of gold, frankincense, and myrrh.

 

Traveling long distances in ancient times meant many dangers. Even if the Magi were riding camels, it was a journey of life and death. Moreover, the gifts they offered were expensive gifts to give to a king.

 

This suggests that the Magi had a secure status and a stable life. In that respect, they were just like King Herod and the people of Jerusalem. But they did not desire to maintain the status quo. The Magi did not put having more things, more power, or continuing to live a stable and prosperous life their priority. Instead, they took great risks to come and worship the new king.

 

For the Magi, the newborn king was that much more precious. They longed to see the light of the kingdom of God that is based on love, not the darkness of the “Earthly City.” The light of the wonderous star they found represented the birth of the light shining in the darkness.

 

The Magi went to Jerusalem to seek the one who was born to be the Saviour. Where can we meet the Saviour? Our world today seems to be a world of darkness where the lust for control reigns. Nevertheless, the kingdom of God that Jesus revealed to us will surely be found somewhere. Let us go out to seek the light. And with that light, let us go into the new year.

 

Pastor Nozomu Sugiyama