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教会の目的地

pivisoによるPixabayからの画像

昨年のクリスマスは、ちょうど新型コロナウイルスの感染が拡大していく中で迎えました。そのため、礼拝時間を短縮し、礼拝後の交わりも行いませんでした。今年もある程度の対策は継続していますが、例年に近いプログラムで行い、愛餐会の代わりに茶話会として交わりの時間ももちました。昨年は礼拝に来ることを控えたけれども、今年は来てくださった方が何人もおられ、第一部のキャンドルサービスは子どもも含めて約40名、第二部は約60名が教会に集いました。パンデミックが始まって以来、一番多くの人が集った礼拝となりました。教会の聖歌隊の讃美も心に響く証しとなりました。礼拝の奏楽、茶話会の準備、クリスマスの飾りつけ、その他の多くの奉仕によって、この祝福されたときを献げることができました。共に礼拝を献げることができるということ。交わりをもつことができるということ。以前には当たり前だと思っていたそのようなことが、恵みであったことに気付かされますし、教会として必要不可欠なことなのだということも再確認させられました。状況を見ながら、少しずつでも再開できることや、新たに取り組めることを模索していきたいと思います。

 

そこで確認したいことは、私たちはどのような世界を目指しているのか、ということです。金沢教会にはミッション・ステートメントがありますが、その行動の先には目指している目的地があるはずです。そしてそれは、イエス・キリストが伝えた「神の国」や黙示録の「新しい天と新しい地」、あるいは創世記や出エジプト記で神様が示された「地」などによって表わされているものでしょう。現代の日本において、私たちはそれをどのような世界として示されているでしょうか。どのような世界に神様は私たちを導こうとしておられるのでしょうか。そのことを確認したとき、教会がなすべき事柄も、私たちがそれぞれに為そうと思う事柄も、よりはっきりと見えてくる気がします。中には全員で一致して行うこともあれば、少人数で、あるいは単独で行うこともあり得ます。それが多様であっても、目指すべき目的地が一致していれば、私たちは「一つの体」として歩んでいくことができますし、互いの働きを感謝し、喜ぶことができるでしょう。これからも主の導きを祈りつつ、新しい年を迎えたいと思います。

 

牧師:杉山望