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共にいるために生まれた救い主

 

クリスマスの物語では、生まれたばかりのイエス・キリストに会いに来たのは、天使の知らせを聞いた羊飼いたちと、星に導かれてやって来た博士たちだけとされます。一方で、飼い葉桶に寝かされている赤ん坊を探し当てた羊飼いたちは、その赤ん坊について天使が話してくれたことを人々に知らせた、と聖書には書かれています。聞いた人たちは不思議に思い、その子が救い主だとは信じなかったようですが、興味本位に会いに来た人はいたかもしれません。そもそも、マリアとヨセフが誰の助けもなく出産したということはあまり考えられません。当時は今のようなSNS時代ではありませんので、マリアのお腹の子に関するうわさが、田舎のナザレから遠く離れたベツレヘムまで伝わっていたとは考えづらいことです。たとえその噂を聞いていたとしても、同族のヨセフとその妻マリアへの援助を拒むことは、とても恥ずかしいことだと考えられていましたから、ベツレヘムの人々は初めての出産を迎えたマリアを助けたと考える方が自然です。

 

とすると、イエス様の誕生の場面には、聖書に書かれている以上に多くの人が立ち会い、またその様子を見に来たということです。ベツレヘムの人々は、出産のために必要なものを揃え、町の女性たちがマリアの出産を助けました。無事に赤ん坊が生まれたという知らせは町の人々に伝わり、お祝いに駆け付けた人たちもいたのでしょう。その時に生まれたイエス様が、人々が待ち望んでいた救い主とは知らない人々もその場にいたのです。イエス様の名は「インマヌエル」とも呼ばれます。その意味は、「神は私たちと共におられる」。救い主は孤独の中に生まれたのではなく、人々の只中に、そして私たちの只中にお生まれになりました。私たちとも共にいてくださる方、それがイエス・キリストなのです。

 

牧師:杉山望