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子どもたちを来させなさい

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「そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスは言われた。『子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。』そして、子供たちに手を置いてから、そこを立ち去られた。」(『聖書 新共同訳』マタイによる福音書19章13~15節)

 

聖書の時代、ユダヤ社会では子どもの存在は低く見られており、人数のうちにも数えられませんでした。イエスの弟子たちも、そのような見方をしていたため、子どもは未熟な「半人間」だから、神の祝福を受ける価値がない、と考えたようです。

 

子どもたちは、社会の中で最も弱く、傷つけられやすい存在でした。幼児死亡率も非常に高く、16歳まで生きられるのは生まれた子どものうちの4割ほどであり、7割の子どもは大人になる前に両親のいずれかを亡くしていたようです。子どもたちは真っ先に飢饉や戦争、病気、社会的混乱の犠牲になりました。

 

イエスのもとに子どもたちを連れてきたのは、その子どもたちの親であったかもしれませんが、ここでは「人々」としか書かれていません。もしかしたら、親を亡くした子どもたちもそこに含まれていたかもしれません。そんな子どもたちを排除しようとした弟子たちに対して、イエスは激しく怒ります。イエスは子どもを一人の存在として受け入れ、神に愛される尊い生命だとされました。確かに子どもは成長の途上にあり、まだ自分の力では生きていくことはできません。しかし、神に祝福され、神に創られ、愛されているという点では、大人と何も変わらないのです。

 

聖書における子どもはこの社会の中で、弱くされ、傷つけられやすい人々を象徴する存在です。今回のコロナ危機においても、子どもたちや弱くされた人々が最も傷つけられやすかったのです。イエスはそのような人々を招き、祝福して、「天の国(神の国)はこのような人々のものである」と宣言されます。イエスはそのような人々にこそ目を向けるのです。

 

牧師:杉山望