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成長しないこれからの時代に

Dominic WunderlichによるPixabayからの画像

地球温暖化などの気候変動を防ぐための国際会議“COP26”が行われています。待ったなしの対策が求められる状況ですが、各国の思惑がぶつかり合い、十分な対応策が決議される見通しが立ちません。スウェーデンの環境活動家であるグレタ・トゥンベリさんは、この会議がごまかしと空虚な言葉に溺れていると批判しています。

 

「気候と生態系の危機はもちろん無関係に存在しているわけではない。植民地主義以降に逆上る他の危機や不正と直接結びついている。ある人は他の人よりも価値があり、それゆえに他の人を盗み、他の人を搾取し、盗む権利があるという考え方に基づく危機だ。根本的な原因を解決せずに、この危機を解決できると考えるのは甘すぎる。」

 

グレタさんのこの指摘に私も共感しています。経済成長には、地球上の限られた資源を際限なくむさぼることや、環境破壊・環境汚染を弱い立場にいる人たちに押し付けてきたことが伴っていました。人間の価値に優劣をつけ、搾取を正当化しなければ、そんなことはできません。気候変動とは、単に環境問題なのではなく、人権の問題でもあります。

 

ノースウェスタン大学経済学教授のロバート・ゴードン氏は、「1960年代のような高い生産性、高い成長率は、決して資本主義の通常状態ではなく、むしろ人類史的に見て極めて特殊な空前絶後の異常事態だった」と語っています。戦後日本の発展や、気候変動を引き起こした人類の活動の方が「異常」なものだったのであり、今は通常の状態に戻ろうと試行錯誤している段階だ、ということです。

 

先週行われた「45歳以下教役者学習会」の参加者の多くは、社会も教会もこれまでのような「成長」は見込めない、という認識を共有していました。その中でどのように歩んでいくか、ということは大きな課題です。ただし、「成長」しないことを嘆く必要はありません。「成長」はいつか必ず止まります。むしろ「成長」を追い求めないことで、これまでは不十分であったことを取り戻していくことができるかもしれません。その一つは、誰もが例外なく、神様に愛されている大切な存在である、ということなのではないでしょうか。

 

牧師:杉山望