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限りあるもの

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聖書を通して神様からのメッセージを聞き取ろうとするときに、古代イスラエルと現代日本との違いが妨げとなることがあります。たとえば古代イスラエルでは、「すべてのものは有限で、誰かの分け前が大きくなれば、自動的に他の誰かの分け前が小さくなる」と考えられていました。そのため、利益を上げることや富を得ることは、脅迫や詐欺の結果であると見なされ、金持ちであることは自分より弱い誰かの所有物を取り上げたことを意味していました。現代の経済では、物資の供給には限りがないと想定されており、利益を上げることも、金持ちになることも肯定されているようです。

 

しかし、物資が無限に供給されるというような想定は正しいとは言えません。今年2月にイギリス財務省が発表した報告書「生物多様性の経済学/ダスグプタ・レビュー」では、人間は地球環境を傷めつけることと引き換えに経済成長を遂げているのであり、地球の資源は有限であるから、世界経済にも限りがある、と指摘されています。1992年から2014年までに自然資本は40%近く減少しており、人間は生物圏の質や量が低下するまで自然資本を収穫したり使ったりしてきました。

 

また、同報告書は、自然からの収奪だけでなく、貧しい人からの収奪についても述べています。「東南アジアなどで森林が伐採され、富裕国へ輸出される。川の上流の森を減らすことは、下流での洪水や土砂崩れを増やし、土壌劣化によって農家の収穫物を減らす。しかし、そうしたコストは輸出価格に含まれていない。森林伐採や輸出をしている会社は、ダメージを受けている人々に補償金を支払わなくてもいいからだ。包括的な富は貧乏な人から裕福な人に、輸出国から輸入国に移動している。しかし、誰も気づかない」。

 

実際、地球上の資源には限りがあります。この場合はその前提に立つことが、神様からのメッセージを聞くために必要なことでしょう。そのようにしてメッセージを聞き取ることができたならば、今度は自分の生き方が問い直されます。時にはこれまで良いことだと思ってきたことが否定されますが、ほんの少しだけ、神様の想いに近づけたようにも感じるのです。

 

牧師:杉山望