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墓地――希望の場所

昨日、教会墓地に先月召された姉妹の納骨を行いました。墓地の裏側にあった木が痛んでいたためか、切られたために、十字架がよく見えるようになりました。この墓地は1984年に、教会員の献金によって購入されたものです。先月12日には墓前礼拝と合わせて墓地内の掃除も行いました。また墓地に刻んである文字も汚れがたまり、ペンキも剥げていましたが、そこも掃除し、塗り直していただいたことで、はっきりと見えるようになりました。それぞれのご奉仕に感謝いたします。

 

墓地の十字架には、「我は復活なり 生命なり 我を信ずる者は死すとも生きん」という御言葉が刻まれています。墓はこの世の人生を終えて最後に入るところですが、教会にとってはイエスの復活を想起する場所でもあります。イエスは死んだラザロを墓から呼び出しました。イエスもまた、十字架の上で死んだ後、墓に納められました。けれどもイエスは3日目によみがえらされ、墓から出て来られました。ですから、教会にとって墓というのは、神の栄光が現された場所、希望の場所とされたのです。

 

私たちのこの世での生涯は有限であり、肉体はいずれは土に帰ります。けれども、死からよみがえられたイエス・キリストは、死によっても終わることのない永遠の命を約束してくださいました。「信ずる者は死すとも生きん」。主にあって結ばれた交わりは、今ものちも、とこしえに変わることがありません。主のもとで先に召された方々と再開するときまで、私たちはこの世で主の希望を証しし、主の栄光をたたえ続けるのです。

 

牧師 杉山望