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解放の神学

lauraelatimer0によるPixabayからの画像

日本バプテスト女性連合の機関誌『世の光』の中に、聖書通読のための「祈りのきずな」という連載があります。毎日一章ずつ読み進めて行くようになっており、毎月一人の牧師が、一章ごとに150字ほどのショートメッセージを書いています。この度、私も執筆することになりましたが、その箇所はヨブ記9~39章となりました。その準備のために、解放の神学の父と呼ばれるグスタボ・グティエレス師の『ヨブ記 神をめぐる論議と無垢の民の苦難』を読んでいます。

 

解放の神学とは、ラテンアメリカの民衆の解放を主題として始まった新しい神学の潮流です。1960年代に被抑圧状態に置かれていた民衆の解放を求める運動が高まり、キリスト者もそこに参与していきました。その中で、キリスト教を抑圧された人びとの視点から再解釈し、差別構造に挑戦する信仰の営みとなりました。その後に始まった黒人解放の神学やフェミニスト神学なども「解放の神学」と総称されています。

 

1984年にノーベル平和賞を授与された南アフリカのデズモンド・ツツ大主教は、解放の神学についてこのように語っています。

「解放の神学は、他の神学の場合以上に、人間の辛苦と悶えという厳しい訓練の中から形成されていった。それは人びとが『おお、神よ、この苦しみはいつまで続くのでしょう?』と叫び、『神さま、なぜなのですか?』と発せられる悲痛な問いがあればこそ、起こったのである。全ての解放の神学は、虐げられ、苦悩する人びとが、組織的な抑圧や搾取の犠牲者となっている時、……人間の苦難にいかなる意味があるのか、その答えを見出そうとして発生した」。

 

グティエレス司祭は、多様なテーマが複雑に作用し合っているヨブ記の中で、「理由もなく多くの人びとが言語を絶する苦しみに突き落とされている状況のもとで、われわれは神についていかなることを語ることができるのか」、という問題をヨブ記の核心と捉えています。この世では苦難があります。その苦難の問題について、特に苦難の只中における信仰の事柄について、ヨブ記は徹底的に語ります。そのことを、礼拝の中でも何度か分かち合うことができればと考えています。

 

牧師 杉山望