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祝福された高齢者

Yogendra SinghによるPixabayからの画像

本日は「敬老祝福礼拝」として礼拝を献げます。日本が「超高齢化社会」となったことで、様々な課題が出てきていますが、それでも年を重ねることは神様の祝福でしょう。イスラエルの父祖アブラハムは175年の生涯とされており、「長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた」(創世記25章8節)ことが神様の祝福として語られています。それは短い生涯には祝福がないということではありませんが、この世で長く生きることは神様の恵みとして理解されてきたのです。

 

聖書では年老いた人への言及もしばしばなされ、「老い」を大切に扱ってきました。たとえば箴言では、「白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる」(箴言16章31節)、「力は若者の栄光。白髪は老人の尊厳」(箴言20章29節)といった言葉があります。年を重ねた印である白髪を、「輝く冠」、「尊厳」の象徴と語るのです。また、ゼカリヤ書では、「万軍の主はこう言われる。エルサレムの広場には、再び、老爺、老婆が座すようになる。それぞれ、長寿のゆえに杖を手にして。都の広場はわらべとおとめに溢れ、彼らは広場で笑いさざめく」(ゼカリヤ書8章4~5節)というように、主が再び来られたときのエルサレムの様子を語っています。子どもや若者の楽しそうな笑い声が聞こえるだけでなく、高齢となった人びとが杖を手にして広場に集まり、その光景を見たり、互いに語り合ったりしていることも、救いが訪れたときの後継として語られているわけです。あるいはエレミヤ書では、「そのとき、おとめは喜び祝って踊り、若者も老人も共に踊る。わたしは彼らの嘆きを喜びに変え、彼らを慰め、悲しみに代えて喜び祝わせる」(エレミヤ書31章13節)というように、若者も老人も、共に慰められ、共に喜び祝って踊る姿も描かれています。神様の救いは、誰も取り残されることなく、老若男女が共に喜ぶものです。

 

主はイザヤを通して約束されます。「あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す」(イザヤ書46章3~4節)。生涯の初めから終わりまで、主は私たちと共におられ、私たちを背負ってくださっています。

 

牧師 杉山望