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アンフェアな世界

FilmbetrachterによるPixabayからの画像

先週の日曜日には、礼拝後に「フェアトレードについて学ぶ会」を行いました。新型コロナウイルスの感染拡大以降、このような機会もなかなか持つことができませんでしたが、大切なお話を聞くことができたと思っています。フェアトレードショップ“アジール”の代表である中谷さんは、多方面にわたって働きを担っておられます。始めは小さなことから始まったことも、だんだんと人の輪が広げられていきました。教会としてもできることがあれば、その輪に加わりたいと思わされました。その一方で、お話を聞きながら私たちの生きる世界では、普段はアンフェアなトレードが行われているのだと思わされました。普段からフェアな取引がなされているのであれば、わざわざ「フェアトレード」と呼ぶ必要はなかったのです。

 

野生動物の世界は「弱肉強食」が基本ですが、ある意味で「フェア」なものかもしれません。生物の関係は、植物も含めて一つの種だけが一方的に利益を得るような構造にはなっていないからです。複雑に関連しあった生態系の中で生きる全ての生き物が何かしらの利益を得ており、その生態系を壊さないことが共通の利益にもなっています。そこで一方的な搾取や収奪が起これば生態系が崩壊してしまい、利益を得ていたものも含めて、すべての生き物が深刻なダメージを受けてしまいます。

 

そのような在り方こそ、神様の造られた世界だったのではないでしょうか。人間も生態系に属する存在として作られており、自然から一方的に利益を得ていいわけではありません。また、人間社会においても、個々人が、あるいは共同体同士が互いに関わり合い、互いに利益を与えながら生きていくものなのでしょう。最上敏樹という人が、コロナ後の世界は「他者と共に生き残ることを本気で構想する≪利他的生き残り≫の哲学に立ったものでなければならない」と述べていました。それは夢物語ではなく、世界の多数の人にとっては、これから先、生き残っていくために不可欠のことです。平和を祈ることは、単に戦争が起こらないことを祈るだけではありません。アンフェアな世界が少しずつでもフェアな世界に代わり、共に生き残ることへと人間が立ち帰って行くことを祈ることも含むのです。