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『Why』ではなく『How』

Arek SochaによるPixabayからの画像

がん告知を受けると、多くの「Why?(なぜ?)」という疑問がわき上がってくる。がんを引き起こすものはいろいろあるけれど、自分ががんになった理由を確定させることや、絶対にがんにならない予防をすることはできない。「がん哲学外来」を全国で展開してこられた医師の樋野興夫氏は、著書『こころにみことばの処方箋』でそのように述べた上で、次のように語っています。

 

「なぜあなたががんになったかは、だれにもわかりません。

必要なのは『Why』ではなく、「How」です。

『なぜ』ではなく『いかにして』。過去を見ることではなく、先を見ること。それは、手放すことでもあります。与えられたものを受け取って、それを『いかにして』いくかなのです。」

 

原因や理由を問うことが全く必要ないわけではありません。放射能被害による人権侵害や、食品に含まれる発がん性物質の問題などは、因果関係を調べ、必要な対処がなされるべきでしょう。それでも、自分に起こったことの全ての原因や理由を知ることはできません。それに捕らわれるなら、「ひたすら過去を振り返り、どうすればよかったのかを思い続けるなら、失望して何もできなくなってしまうでしょう」、と樋野氏は言います。考えてもわからないことまで知る必要はなくて、今、自分がどのように生きるか、これからどのように生きていくか、ということが大切なのだと気付かされます。

 

ルカによる福音書13章1~5節でイエスは、災難に遭うことと、その人の罪深さとが相関するという見方を退けています。「良い人は繁栄し、健康であり、悪い人は貧乏で、病気にかかっている」、という見方は、古代の多くの人に共有されていました。現代でも、多少形を変えながらも、このような因果応報の考え方の影響力は残っています。イエスはそのような単純化した見方に捕らわれてはおりません。イエスが求めたことは、神の前で悔い改め、神に信頼して生きるということでした。神はどのようなお方であり、何を為そうとしておられるのか。その神によって生かされ、愛されている私はどのように生きるのか。その問いこそ重要です。