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『生き抜く』よりも『生き合う』ことへ

White77によるPixabayからの画像

大阪市内の小学校の校長である久保敬氏が、大阪市長に向けた提言を発表しました。「グローバル経済を支える人材という『商品』を作り出す工場と化して」しまった教育のあり様や、そのような教育を強いられて「喜びのない何のためかわからないような仕事に追われ、疲弊していく」教師の姿を嘆きながら、「今、価値観の転換を図らなければ、教育の世界に未来はないのではないか」、と問いかけています。

 

「本当に子どもの幸せな成長を願って、子どもの人権を尊重し『最善の利益』を考えた社会ではないことが、コロナ禍になってはっきりと可視化されてきたと言えるのではないだろうか。社会の課題のしわ寄せが、どんどん子どもや学校に襲いかかっている。虐待も不登校もいじめも増えるばかりである。10代の自殺も増えており、コロナ禍の現在、中高生の女子の自殺は急増している。これほどまでに、子どもたちを生き辛くさせているものは、何であるのか。私たち大人は、そのことに真剣に向き合わなければならない。グローバル化により激変する予測困難な社会を生き抜く力をつけなければならないと言うが、そんな社会自体が間違っているのではないのか。過度な競争を強いて、競争に打ち勝った者だけが『がんばった人間』として評価される、そんな理不尽な社会であっていいのか。誰もが幸せに生きる権利を持っており、社会は自由で公正・公平でなければならないはずだ。『生き抜く』世の中ではなく、『生き合う』世の中でなくてはならない。そうでなければ、このコロナ禍にも、地球温暖化にも対応することができないにちがいない。」

 

私たちも、この社会を必死に生き抜こうとしています。けれども、本当に願っていることは、競争に打ち勝つことではなく、「生き合う」ことでしょう。イエス様が現わした神の国は、きっと「生き合う」社会に似ていると思うのです。