· 

家族的な教会?

magdiel-lacoquisによるPixabayからの画像

連盟の総会検討委員会では、理事選挙にクオータ制を導入しようとしています。それによって、これまでの理事会で多数を占めてきた「男性・教役者」の比率を下げ、女性や信徒の理事を増やすことで、多様な視点をもち、多様な賜物を生かす連盟になっていくことを目指しています。そもそも諸教会では、どの教会も女性の方が多く、かつ教役者は1人か2人というところがほとんどです。それでも理事として選出されるのが「男性・教役者」に偏ってきたということは、選ぶ側に何かしらの偏りがあったということでしょう。

 

世界経済フォーラムの調査では、日本の「ジェンダー・ギャップ指数」は156カ国中120位という情けない結果が出ています。諸外国で不平等の是正が進む中で、日本では改善が遅々として進んでおらず、すっかり取り残されてしまっています。教会も例外ではありません。

 

社会の不平等は、家庭内での不平等と関連しています。2011年のデータでは、女性の家事時間が1日約300分であるのに対して、男性は62分しかありませんでした。共働きが当たり前の時代になっても、家庭内での役割分担も、また社会での立場でも、平等には程遠いのが現状です。

 

その一方で、「あるべき家族像」のプレッシャーに苦しむ人もいます。例えばご飯は「一汁三菜」でなければならない、というように。しかし、「一汁三菜」はもともとおもてなし料理としての懐石料理であり、日常食ではなかったようです。聖書の時代はどうだったかというと、朝はパンとオリーブをかじりながら仕事に行き、昼は仕事の合間にパンとチーズ、果物をつまみました。夕食が一番充実していましたが、小麦、大麦、ひよこ豆、レンズ豆などを煮込んだスープに野草や野菜を加え、塩で味付けしたものをパンにつけて食べる、というのが日常の夕食でした。イエス様もそのような食事をしておられたわけですから、「神の国」を表す食卓には「一汁三菜」は必要ありません。

 

教会によっては、「ここは家族的な教会です」、と紹介されることもあります。そのときの「家族」とはどのようなものを指しているのでしょうか。私たちには社会の価値観や「あるべき家族像」が刷り込まれています。そこには不平等や格差が含まれていたり、誰かに無理を強いることがあったりするかもしれません。教会が目指すべきは、「家族」ではなく、「神の国」であることを覚えましょう。