· 

ミャンマーの新たな年のために

2月1日にクーデターが発生し、軍の弾圧が続くミャンマーでは、4月17日に新年を迎えました。例年であれば、正月を迎える連休から祝賀ムードに包まれ、新年初日は市民が街頭に出て水をかけあったり、歌や踊りを楽しんだりするようです。しかし今年は軍の弾圧による犠牲者が700人を超える中で、正月も抗議の意思を示し、犠牲者を悼んで喪に服すことが呼びかけられています。

 

ミャンマーは130を超える民族が暮らす多民族国家であり、これまでも各地で国軍と少数民族の武装勢力との戦闘が続いてきました。国軍はその過程で少数民族の一般住民の殺りくも繰り返してきました。1948年にビルマとして独立した当時から国軍は大きな力をもっており、1962年のクーデターによって誕生した軍事政権が長く続いていました。

 

1988年には軍事独裁体制を打破しようとする大規模な民主化運動が起こり、政権交代が起こりましたが、このときにも国軍は民主派のデモを武力で弾圧し、数千人を殺害しました。1990年の総選挙では「国民民主連盟(NDL)」が圧勝しましたが、軍事政権はこの結果を認めず、弾圧を続けました。2007年に再び大規模なデモが発生し、多数の僧侶もデモに参加しました。2010年の選挙には、NDLは不正選挙だとして参加せず、国軍の支持基盤政党である「連邦団結発展党(USDP)」が圧勝しました。それでも不十分ながら民政移管が行われるようになり、2015年の総選挙ではNDLが勝利しました。しかし国軍の影響力は軍事だけでなく、政治的、経済的側面にも強く残っています。

 

一日で114人もの犠牲者を出した国軍記念日(3/27)は、当時のビルマ国軍が日本軍に一斉蜂起したことが起源となりました。日本軍の支配下でミャンマーの人々の生活環境は極端に悪化しました。大本営が計画したタイとミャンマーを繋ぐ“泰緬鉄道”という軍事鉄道の工事では、約10万人の市民が現場に送り込まれ、少なくとも3万人が命を失い、ミャンマーでは「枕木1本につき一人が死んだ」と語られています。その歴史を取り消すことはできませんが、せめてミャンマーでの犠牲者が広がらないように、暴力が否定され、民主的な手段によって平和が実現されるように、祈りを合わせたいと思います。