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中村哲さんが語り、実行した”平和”

Amber ClayによるPixabayからの画像

アフガニスタンで長年、人道支援と復興に携わってきた中村哲さんが銃撃され、召されてから1年が過ぎました。今月8日には現地でアフガニスタン政府主催の追悼式が行われ、市民ら1000人以上が参列しました。中村さんが医師としてアフガニスタンを訪れた当時、そこでは大規模な干ばつが続いていました。干ばつのために村が消えてしまうこともあったほどです。中村さんの診療所を訪れる人の病気の原因は、ほとんどが栄養失調と不衛生な水を飲むことでした。そこで中村さんは飲料用水のために井戸を掘り、さらには農業用水のために用水路の建設を始めました。

 

現地住民からの信頼を得た一方で、2008年には政治状況の悪化に伴って、日本人の現地スタッフが拉致され、殺害されるという事件も起こりました。そのとき、中村さん以外の日本人スタッフは全員帰国することになりましたが、中村さんはその決定が不本意だったと語っています。「日本人ひとりが死ぬと非常に大きなリアクションを生むのに、この事業では現地の人が何人も殉職していて、その人たちが死んだときは何も起こらないんですよね。これはちょうど、米軍と同じ関係なんだなと思いましたね。……自分の子が死ぬのはもちろん悲しいですけども、それと同じ思いをする親が他にいるという想像力が足りなかったと思いますね。そこが文明人たる所以ではないでしょうか。常々、平和というのは戦争以上に努力が要るんだと言っていますが、そういうことを言っていたんです」。中村さんが襲撃された時、車に同乗していた現地スタッフ5人も犠牲になりました。

 

アフガニスタンの人たちと共に生きた中村さんは、報道から得られるイメージとは異なる現地の人たちの姿を語っておられました。「彼らの願いはふたつしかない。ひとつは1日3回ご飯が食べられること、もうひとつは自分の故郷で家族と一緒に住むこと。それができないから、我々は難民になったり傭兵になったりしてしまう、これがごくごく一般的な農民の考えです。だから、もしも自分の村で耕して食えるなら、それが一番いいということになります」。「食べること、家族が安泰で故郷で暮らせること、これさえ満たしてやれば、それ以上の欲のない人たちだからです。ただ、はっきりしているのは、局地的にしろ、耕せるようになると平和になるということです」。「平和の君」と呼ばれる救い主の誕生を待ち望むこの時、中村さんが語り、実行した“平和”を思い巡らせています。

 

引用元:https://www.rockinon.co.jp/sight/nakamura-tetsu/