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一人の子どものために一つの村を

Rapheal NathanielによるPixabayからの画像

「子どもを一人育てるには、村が一ついる」。これは、アフリカの古いことわざだそうです。子育ては親だけでできるものではない。一つの家族だけでできるものでもない。一つの村が丸ごと必要だ、というこの言葉にはとても含蓄があります。“村”ですから、そこには実に多様な人たちがいたはずです。年代も赤ちゃんから子どもたち、青年、壮年、さらにはお年寄りまで様々であり、その中には働いている人もいれば、学校に行く人もいるし、家庭の仕事をしている人もいる。忙しくしている人もいれば、ゆっくりとした時間を過ごしている人もいる。それぞれ性格も違うし、色んな考え方の人がいる。そんな多様な人たちの集まる“村”が丸ごと関わる中で、子どもは育っていく、とアフリカでは考えられてきたのです。

 

「社会関係資本」(social capital)という言葉があります。それは、信頼・ネットワーク・規範といった社会組織の特徴を指す言葉で、「信頼できる社会的繋がり」や「豊かな人間関係」のことであり、一言でいえば「絆」と呼ぶことができます。アメリカの政治学者ロバート・D・パットナムは、「子どもの発達は、社会関係資本によって強力に形作られる」と言い、「家族や友人、知り合いとのインフォーマルな関係、市民組織や宗教、運動チーム、ボランティア活動への参加」などの繋がりやコミュニティの絆が、「健康や幸福度、教育上の成功に経済上の成功、治安、そして(とりわけ)児童福祉に強い影響を持っている」と述べています。(この繋がりには当然、学校や幼稚園も含まれているでしょう。)

 

このような社会的ネットワークには、家族や友人のような「強い繋がり」だけでなく、単なる知り合いといった「弱い繋がり」も含まれるそうです。そしてその弱い繋がりが、子どもの可能性や世界を広げる可能性をもっています。村の関係の中でも、村人全員と家族のような繋がりがあったわけではなく、弱いけれども広く多様な繋がりがあったのです。イエスは「互いに愛し合いなさい」、「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」と教えました。それは自分が出会い・繋がりをもった人の全てを自分だけで背負うことではありません。誰にでも多様な繋がりがありますし、あった方がいいのです。私たちが互いに愛し合う絆やネットワークの中にいる一人として、子どもを愛し、隣人を愛し、また自分も愛され、助けられて生きていく。イエスはそんな未来を思い描いていたのではないでしょうか。