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主体的なバプテスト

Heather TruettによるPixabayからの画像

“バプテスト”という教派の特徴には、聖書を中心とした信仰や、民主的な教会運営、信教の自由と政教分離の主張などが挙げられますが、その中でも名前の由来となったバプテスマに関する主張は、当時の社会の中で大きな波紋を呼びました。

 

バプテスト教会が誕生したころのイギリスには、国王を首長とする英国国教会(現在の聖公会)が誕生していました。そこでは教会と国家は一体であり、人が生まれるとその地域の教会で“幼児洗礼”を授けられ、教会に住民登録をされることが当たり前でした。そのような国教会を離れ、幼児洗礼を否定することは、単に信仰の違いとは受け止められず、社会の秩序を乱すことと見なされ、厳しい迫害が加えられることになりました。

 

迫害の危険がありながらも、バプテスト教会が誕生し、成長したことの背景の一つには、聖書の翻訳の普及がありました。それまではラテン語訳の聖書だけが使用されており、特別な教育を受けた教職者(司祭や牧師)だけに聖書の解釈が独占されていました。しかし、一般市民であっても自分の言葉で自由に聖書を読めるようになると、それまで絶対視されていた伝統的な教理に対して素朴な疑問がぶつけられるようになったのです。

 

イエス・キリストの十字架は、全ての人のために既に起こった出来事ですが、それが個々人の救いの出来事となるのは、それを「私のために起こったこと」だと信じ、告白するという信仰の応答によります。バプテスト教会は、バプテスマの形式を頭に水をたらす“滴礼”から全身を水に浸す“浸礼”に変えたというだけでなく、一人ひとりがイエス様と出会い、その招きに応答し、受動的にではなく、主体的に教会に加わるということを選び取ってきたのです。神様の前では牧師も信徒も平等です。自分で聖書を読むこと、そこから思わされたことや感じた疑問を分かち合うことは、バプテスト教会にとって欠かすことのできないことなのです。